人はいつか必ず死ぬ。
そんなことは分かっているつもりでした。
あの時までは。
年を重ねるのに従って、人の死に接する機会も増えて、
ある意味、人の死に対して麻痺していたのかもしれません。
人は普段、病気やケガもなく、平穏に生きてたら、死を意識することもありません。
だから、今の平穏な暮らしがいつまでも続くような錯覚に陥ってしまいます。
以前の私もそうでした。
でも、知人の死をきっかけに、
「人はいつ死ぬか分からない。だから後悔しないように生きたい。」
と強く思うようになりました。
あなたは、自分が何歳まで生きられると思いますか?
もし今日があなたの人生最後の日だとしたら、あなたは何をしますか?
突然の戦友の死
私の会社では、ある製品の生産工程の一部を取引先に委託しています。
初めは細々と販売していたその製品も、
売上が順調に伸び、弊社の主力製品となるまでに成長しました。
この製品は、従来、世の中にあった競合製品とは、異なる製法で作ったため、
生産が順調に軌道に乗るまでは、様々な苦労がありました。
生産や品質にまつわる様々な課題を、その取引先と協力して共に乗り越え、
製品性能の向上、品質の向上、コストダウンに取り組んだ結果、
最終的には、その業界で世界シェアの80%以上を占める一大事業に成長しました。
その取引先の協力がなければ、この製品もそこまで成長できなかったと思います。
その取引先で事業の初期から営業を担当していた営業マンが、突然亡くなりました。
とても明るく、表面上はおちゃらけたキャラクターを演じていましたが、
営業マンとしての能力は非常に高く、仕事ができる人でした。
2社の関係が険悪になりかけた時も何度かありましたが、彼がうまく間を取り持ってくれたおかげで、長年に渡り、良好な関係を継続することができ、私もとても信頼していました。
その製品を始めた頃は、お互い一担当者でしたが、
その製品が成長して、一つの事業部となる頃には、お互いに部長クラスまで出世していました。
私は趣味でロードバイクに乗っていますが、彼も、同じ趣味を持っていることを知り、
プライベートで、今度一緒に走りに行こうというやり取りをしている中、
訃報は突然訪れました。
彼は、体格がもともと肥満気味で、健康診断でも黄色信号が灯っていたそうですが、
ある日突然胸が痛くなり、会社を休んで医者に行ったところ、
病院の待合室で突然倒れ、帰らぬ人となったそうです。
私は衝撃を受けました。
「えっ、嘘でしょ?」そんな間抜けな言葉しか出てきませんでした。
葬儀は、その営業マンの実家である山奥の田舎で執り行われると聞き、
車で数時間の遠距離でしたが、会社を休んで、葬儀に参列しました。
葬儀に参列する私の頭に浮かんでいたのは、平家物語の一説です。
昨日まで同じ目標に向かって、一緒に懸命に仕事をしていた戦友が、
突然亡くなったことを、 どう受け止めていいのか分かりませんでした。
その時期、ちょうど仕事でメンタル的に弱っていたこともあり、
ずいぶん長い間、気持ちが落ち込み、なかなか立ち直れませんでした。
そして強く思うようになったのです。
「人はいつ死ぬかわからない。だから後悔しないように生きよう。」と。
このブログを始めたのも、自分がやりたいと思うことをやろうと思ったからです。
自分の父親が亡くなった時も、
学生時代に一緒にバンドをやっていた仲間が事故で亡くなった時も、
同僚が病気で亡くなった時も、そんなことは思いませんでした。
なぜ彼の時だけ、そんなふうに思ったのかは今でも分かりません。
私は今でも週末になると毎週ロードバイクで野山を走り回っていますが、
ロードバイクのサドルバッグには彼の写真が入っており、
いつも一緒に走っています。
人は死を迎えた時、何を思うのか
人は自分の死に直面した時、何を思うのでしょうか。
「人が死ぬときに後悔する34のリスト」という本があります。
著者は医者で、これまで多くの死に直面してきましたが、
多くの人が死ぬ時に、
「もっとこうしておけばよかった」
「何でやっておかなかったんだろう」
といった後悔を口にするそうです。
日本人は、自分のやりたいことよりも、やるべきことを優先する気質のため、
自分のやりたいことをやらずに死を迎える人が多いのではないかと思います。
私は若い頃、海外で働くために英会話教室に通っていました。
ある時、英会話の先生に「あなたの夢は何ですか?」と聞かれました。
私は、学生時代バンドをやっていたので「満員の武道館でライブをやることです」 と答えました。
すると、先生は続けてこう聞きました。
「あなたはその夢を実現するために、何をやっていますか?」
私は返事に詰まりました。
私にとって、「夢」とは、「しょせん、かなわないもの」という感覚だったのです。
でも彼女にとっては、夢とは叶えるものなのです。
自分はまだ死に直面したことがないので、自分がどう思うかは正直分かりません。
でも、自分が死に直面した時、
「あぁ、もっと自分のやりたいことをやっておけばよかった」
と後悔するのは絶対に嫌です。
カリスマの名言
有名な言葉ですが、私が尊敬するカリスマ、スティーブ・ジョブズは次のように言っています。
私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。
「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。
それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。
これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。スティーブ・ジョブズ
この一節は、下の動画の8分45秒あたりから始まります。
この時、既にジョブズ氏は自分がガンであることを知っていました。
だからこそ、この言葉には重みがあります。
そして、私が尊敬するもう一人のカリスマ、孫正義氏はこう言っています。
すってんころりんと転ぶかもしれない。
しかし目指したものがそこにあれば、死ぬ5分前にああ、楽しい人生だったな、はるかに有意義な人生だったと、 思える気がする。孫正義
この言葉を聞くと、私たちは
今際の際(いまわのきわ)に「あぁ、いい人生だったな」と思うために
一生懸命頑張ってるんじゃないかとすら思えてきます。
まとめ
私は、知人の死をきっかけに、
「人はいつ死ぬか分からない。だから後悔しないように生きたい。」
と強く思うようになりました。
人は普段、病気やケガもなく、平穏に生きてたら、死を意識することもないと思います。
だから、今の平穏な暮らしがいつまでも続くような錯覚に陥ってしまいます。
でも、その時は誰にでも必ず訪れます。
それは、50年後かもしれないし、もしかしたら明日かもしれません。
あなたも、その瞬間が訪れた時、
「あぁ、もっと自分のやりたいことをやっておけばよかった」
ではなく、
「あぁ、いい人生だったな」
と言いたいと思いませんか?
だから、自分のやりたいことにチャレンジしましよう。
たとえ失敗したとしても、笑顔で最期を迎えられる気がします。
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